「命救うこと最優先」貫く 慈恵病院理事長・蓮田太二さん 10月25日死去84歳 

熊本日日新聞 | 2020年11月30日 10:14

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「こうのとりのゆりかご」について語る蓮田太二さん=2007年12月(横井誠)

 若い頃、井戸に落ちた子ヤギを助けるため暗い水中に飛び込んだ。大学病院の医局員時代、「助からない」とされた未熟児にこっそりミルクを与えた。親が育てられない子どもを匿名でも預かる「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」開設を含め、目の前の命を救うことに徹した人生だった。

 旧熊本県植木町出身の国文学者で軍人でもあった蓮田善明の次男。1936年、父が赴任していた台湾で生まれた。「一度こうと決めたら、そうしなければならないよ」と諭した父は、45年の敗戦に際し自決。父の思い出を語る時、蓮田さんは決まって目を潤ませた。

 済々黌高から熊本大医学部に進み、同大病院産婦人科に入局。69年、カトリック修道会が熊本市に創設した琵琶崎聖母慈恵病院(慈恵病院の前身)に派遣された。昼夜なく患者に寄り添うシスターに感銘を受け病院の継承を決意。医療法人を設立し理事長に就いた。

 ゆりかごの開設は2007年5月。新生児の遺棄事件が相次ぎ、決断した。「虐待や養育放棄で命を落とすくらいなら、ポストに託してもらった方がいい」。構想を明らかにしたインタビューでの穏やかだが力強い声が印象に残っている。

 匿名での受け入れが「安易な子捨てにつながる」と批判され、脅迫めいた電話を受けても「命を救うことが最優先」と譲らなかった。長男で同病院の理事長・院長職を引き継いだ健さん(54)は、「信念を貫き通す強さに、祖父と同じ雰囲気を感じる」と言う。

 妻〓子さん(80)が「幸せの黄色いハンカチ」にちなみ選んだ淡黄色のシャツを気に入り、半袖と長袖を年中着回した。10年ほど前から持病の糖尿病が悪化し片脚を切断したが、週3回の透析治療を受けながら車いすで講演活動を続けた。

 今年3月までにゆりかごに預けられた子どもは155人。300件以上の特別養子縁組を成立させた。献花式には蓮田さんが縁をつないだ家族も多数訪れ、感謝の祈りをささげた。(森紀子)