オウム死刑執行 割り切れなさの残る結末だ

7月7日 09:14

 地下鉄、松本両サリン事件などオウム真理教による一連の犯行を首謀したとして殺人などの罪に問われ、死刑が確定した松本智津夫死刑囚=教祖名麻原彰晃=の刑が6日、他の6人の教団幹部死刑囚とともに執行された。

 世界を震撼[しんかん]させる数々のおぞましい事件を引き起こした教団のトップは、ついに事件の詳細を語らず、謝罪や反省の言葉も口にしなかった。逮捕から23年を経て、事件の真相、全容が明らかにされないままでの執行は、割り切れなさの残る結末だ。

 確定判決によると、松本死刑囚は両サリン事件とともに、坂本弁護士一家殺害事件、公証役場事務長監禁致死事件など13事件に首謀者として関与。一連の事件での犠牲者は、起訴後の死亡なども含め29人に上り、被害者は6500人以上を数える。

 東京地裁は2004年の判決で、松本死刑囚の全事件での指示と共謀を認定し、求刑通り死刑を言い渡した。東京高裁は、弁護団が控訴趣意書を提出しなかったことを理由に公判を開かず棄却を決定。最高裁は06年の決定で高裁決定を支持し、死刑が確定していた。

 実質審理は一審だけという異例の経過である。しかも、一審でも松本死刑囚は、沈黙や不規則発言を繰り返し、動機など事件の中核部分の解明はほとんどなされなかった。その原因は松本死刑囚の側にあるとはいえ、真相究明を期待した社会の要請に、司法は十分に応えられなかった。

 事件の重大性から見て極刑は当然ではあろう。しかし、死刑執行により、首謀者の声を聞く機会は永遠に失われることになった。記憶の風化を防ぎ今後の教訓とするためにも、改めて事件と向き合い検証を重ねる努力が必要だろう。

 教団は、熊本県から上京した松本死刑囚が開いた小さなヨガサークルから出発した。それがどのようにして武装化路線を突き進む反社会的集団になるまでに至ったのか。1989年の坂本弁護士一家殺害事件や、その翌年の旧波野村(現阿蘇市)進出など、教団が社会の耳目を集め始めた時点で暴走は止められなかったのか。疑問点はいくつもある。

 とりわけ究明すべきは、入信前までは凶悪な犯罪性向を持っていたわけではない普通の若者たちが、なぜ荒唐無稽な松本死刑囚の教えに引きつけられ、無差別殺傷をちゅうちょしないまでに洗脳されたかであろう。

 今回、ともに死刑執行された教団幹部からは法廷で後悔や謝罪の言葉が出た一方で、新実智光死刑囚のように「(松本死刑囚に)帰依する気持ちは変わらない」と明言する者もいた。

 教団の系譜を継ぐ3団体が今も活動しており、死刑執行により、かえって松本死刑囚が神格化されることが懸念されている。沈黙の中に逃げ込み通した教祖の虚像を検証作業であらためて暴き、その実像をできる限り明らかにすることも残された課題だ。