水俣病64年 多くの課題残ったままだ

5月1日 08:52

 水俣病の発生が公式に確認された1956年5月1日から、きょうで64年となる。しかし被害者救済は終わっていない。原因となったメチル水銀の適切な規制値など、未解明の課題も数多く残ったままだ。

 原因企業チッソが被害者救済や環境回復を完遂すべきことは言うまでもない。国や県、政治家、研究者やマスメディアなども現状をしっかりと認識し、残る課題に向き合っていく必要がある。

 水俣病の公式確認後、チッソ水俣工場が問題の排水を工場内循環に改めるまで10年かかった。被害は拡大し、患者の救済は遅れた。現状を招いたのは、国が排水規制を怠るなど、関係機関がいくつもの失敗を重ねたからだ。

 水俣病事件は一言で言えば「失敗の歴史」だが、多岐にわたる教訓を与えてもくれる。新型コロナウイルス感染症の広がる今だからこそ、参考になる教訓もある。

 4月現在の水俣病認定患者は熊本県1790人、鹿児島県493人の合わせて2283人。そのうち1961人がすでに亡くなった。新たな認定申請も続き、熊本県で419人、鹿児島県で1088人の処分結果が出ていない。

 このほか2009年の水俣病特別措置法まで2度の未認定被害者救済策によって、不知火海周辺の約4万人が救済対象となった。

 それらが現在まで明らかになった患者・被害者の数だが、そこから漏れた人たちが司法の場に救済を求めている。認定や救済を巡ってはいまだ紛争状態にある。

 未処理の水銀ヘドロも問題だ。チッソが排出した有害物質は水俣湾内に封じ込められたが、無毒化されたわけではない。ヘドロ埋め立て地と海を仕切る構造物はいずれ耐用年数を迎える。

 排出されたメチル水銀は海のどれだけの範囲を汚染したのか。魚介類の水銀規制値は今の「暫定値」のままでよいのか。人体の安全基準は、当初の医学研究から導かれた数値で妥当なのか-。

 数々の課題が残された大きな要因は、チッソや行政が被害の全体像をつかもうとしなかったからだ。病気発生後の原因究明過程の調査は不徹底だった。その後、健康被害の広がりを最大限探るような調査も行われていない。

 09年の特措法は、政府に不知火海沿岸住民の健康調査をするよう定めた。だが環境省は今もって「調査の手法を開発中」と繰り返すばかりだ。国こそがまず失敗の反省に立ち、教訓を今に生かすべきではないか。

 水俣病は新型コロナのような感染症ではない。最初は「伝染病」と疑われたが、熊本大研究班の報告で半年後にはその疑いが消えた。にもかかわらず、行政などによる周知が不足し、患者差別の一因となった。

 それだけではない。企業や行政が内部で把握した事実や調査結果を公にしなかったため、被害を拡大させた。正しい情報を素早く公開すべきことは、事件の全過程を貫く大きな教訓である。