沖縄慰霊の日 「戦後」は終わっていない

6月23日 07:55

 沖縄県はきょう23日、「慰霊の日」を迎えた。太平洋戦争末期の沖縄戦で組織的戦闘が終結した日とされ、安倍晋三首相も出席して戦没者追悼式が開かれる。

 74年前の敗戦により、長く米統治下に置かれた沖縄は、今もその後遺症ともいえる重い米軍基地負担に苦しんでいる。20万人超の犠牲者をしのぶとともにいまだ終わったとは言い難い沖縄の「戦後」を改めて見つめ直す日としたい。

 3カ月近くに及んだ地上戦は多くの一般住民も巻き込み、県民の4人に1人が犠牲となった。その末期、海軍部隊司令官の大田実少将は自決を前にして、次のような電文を海軍次官宛てに送った。

 <県民は青壮年の全部を防衛召集に捧[ささ]げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ->と現地の惨状を伝え、<沖縄県民斯[か]く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを>と結んだ。

 しかし、戦後の沖縄は「特別の御高配」とは、正反対の状況が続く。「銃剣とブルドーザー」による米軍基地建設で、多くの県民が住む土地を追われた。日本が独立を取り戻した1952年のサンフランシスコ講和条約発効後も、沖縄は本土から切り離された。

 この結果、日本の高度経済成長を共有することはできず、本土の米軍基地も次第に沖縄に移された。これが基地と経済の両分野で、沖縄と本土との間で大きな格差が生じたことの源流である。

 こうした状況は72年の本土復帰後も変わっていない。国土面積のわずか0・6%しかない沖縄に米軍専用施設の70%が集中。広大な面積を占める基地のために、自由な土地利用も妨げられている。米軍に特権を認めた日米地位協定により、米軍が引き起こした事件・事故や環境破壊などで、数々の弊害を被っているのも沖縄だ。

 先の大戦で沖縄県民は、本土防衛のために大きな犠牲を強いられた。日本の安全保障を名目に、過重な基地負担が押しつけられている現状も、同じ構図が続いていると言えるのではないか。

 「沖縄に寄り添う」との言葉を繰り返している安倍首相だが、このいびつな構図を直視しているとは、とても言い難い。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設では、県知事選や県民投票で沖縄が何度も「反対」の意思を示したにもかかわらず、埋め立て工事を強行。日米地位協定の改定にも後ろ向きのままだ。

 沖縄県の玉城デニー知事は、5月の本土復帰47年に合わせた談話で辺野古埋め立てに触れ、「憲法が定める国民主権、民主主義、地方自治が脅かされている」と訴えた。翁長雄志前知事も生前、「憲法が保障する権利は、沖縄県民にも等しく保障されているのか」と繰り返し疑問を投げ掛けていた。

 「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正に意欲を示している安倍首相である。それならば、なおさら戦後沖縄の主権回復の在り方を問う声に、正面から向き合うべきではないか