3月15日付

3月15日 09:32

 熊本が生んだ横井小楠は酒癖の悪い人で、酒での失敗が何度か人生の転機となった。学才を見込んだ福井藩主・松平春嶽[しゅんがく]が、義父の細川斉護[なりもり]に小楠の身柄を借り受けたいと頼んできたときも、「役に立つ見込みはない」といったん断られている▼諦めきれない春嶽はなぜ小楠が必要かを切々と書き送り、再び義父に懇願した。その長さ4メートルを超える書簡がいま熊本県立美術館に展示されている。小楠愛用の酒器と並んで、見どころの一つだ▼春嶽は徳川将軍家の親族で、明治維新のキーマンの一人となった。小楠も1868(明治元)年、新政府の参与に登用され、いよいよ国づくりに参画する。だが、以後わずか数カ月で凶刃に倒れた。今年は没後150年にあたる▼「幕末最大の思想家」とも言われる小楠は儒学者だが、その魅力は思想のスケールの大きさにある。中国古代の堯舜の[ぎょうしゅん]治世を国づくりの模範とした。道義を国家の行動規範と考え、それを世界に広めることを理想とした。それは自国のみを最優先し、他国を植民地化していく行き方とはまったく別の方向だ▼もし小楠が死なずに政府の中で発言力を強めていれば、戦争に明け暮れた昭和までの日本の歴史は今とは違ったものになり、もっと尊敬される国になっていたかもしれない▼現実の世界を見てもそんな国はすぐには思い当たらない。儒学の本家の中国でも、自由と民主主義のアメリカでもなかろう。逆説的だが、それだからなおのこと小楠の思想は今も生き続けているのではないか。