11月9日付

11月9日 09:30

 「純情正義主義」。7日に103歳で亡くなった水俣病市民会議会長の日吉フミコさんの行動哲学を、そう名付けたのは作家の故石牟礼道子さんだった。<谷の上の一本橋を行進曲で渡るように、たしかに彼女はまっすぐにゆく>と、50年前の同会創設時の日吉さんの姿を『苦海浄土』に記している▼教師時代に教え子の見舞いに行った病院で偶然、胎児性患者を見掛けた。「私があの子たちの母親だったら、どうしたらいいだろう」。その自問が患者支援の道へと突き動かした▼以後、園田直厚生相への直訴でも、1次訴訟の提訴でも、チッソ株主総会に乗り込むときも…。活動の先頭には常に日吉さんがいた▼「市民会議」とは名ばかりで、むしろ多くの市民から「収まっていた問題をわざわざ掘り返す」と反発を受けた。集落を回れば「おまえが来ればボラの値段が下がる」と怒鳴られ、家に帰っても雨戸をたたかれたり脅迫電話を受けたりもした▼それでも「私は胎児性の子どもたちのために命を懸けている」と、ひるむことはなかった。日吉さんの軌跡をたどると、「寄り添う」という言葉ではくくれない、患者の苦しみをわがものとして引き受ける壮絶な覚悟が見える▼3年前の本紙の取材に当時100歳の日吉さんはこう答えている。「弱い立場の人のために、なりふりかまわず味方であろうとする人が今、どれだけいますか。弱い人を守る気持ちを、若い人に引き継いでほしい」。まっすぐな「純情正義主義」を終生、保ち続けた人だった。