4月1日付

4月1日 08:50

 鎌倉時代末期、伊勢の国から鬼に変身した女が上京した、といううわさが京都中に広がった。人々は鬼を見たいと大騒ぎして探し歩いたが、見た人は誰もいなかった。その後、大勢の人が病気になる現象が見られたという▼吉田兼好は『徒然草』にそのことを記す。<その頃、おしなべて、二三日人のわづらふことの侍[はべ]りしをぞ、かの鬼の空事[そらごと]は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし>。根も葉もない鬼のうわさは流行病[はやりやまい]の前兆だったと言う人もいたと▼国文学者谷知子さんの『古典のすすめ』(角川選書)から引いた。当時、次々に病気がうつっていくのは不思議な現象であり、人知を超えたものの仕業に見えた。それを鬼のうわさに重ねて、人々は恐れ、警戒したのでは、と谷さんは言う▼それから700年ほどの時が過ぎても、「鬼」はその辺りをうろついているようだ。新型コロナウイルスの感染拡大を受け安倍晋三首相がきょう緊急事態宣言を発令し、戒厳令まで出すといううわさがインターネット上で流れているという▼首相は「そんなことは全くない」と否定したが、それでもうわさやデマは人々の不安、恐怖を養分として触手を伸ばしていく。事実無根なのに感染者と名指しされたり、日用品が品薄になると誤った情報が出回ったりと枚挙にいとまがない▼<理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる>。哲学者ルソーの言葉である。安易にデマを広める前に、自らに潜む「鬼」を見つめた方がいい。