9月7日付

9月7日 08:01

 70歳のとき、市販の手帳を買った。日々気がついたことを記録し、77歳になったらこの世にいないと「予定」を立て、それまでにしておくことを考えるために▼自らの老いを見つめた手帳が『すごいトシヨリBOOK』(毎日新聞出版)として世に出たのは2年前のこと。群れるのをやめて自立する、最後まで話を聴く力が必要-こんな「楽しく老いる秘訣[ひけつ]」を集めて大きな反響を呼んだ。著者のドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんが78歳で亡くなった▼兵庫県姫路市の生まれ。戦争が終わったときは<まだほんのハナたらし>で、戦後民主主義の時代に育ったが地域社会は色濃く戦前を残していた、と自伝的回想録『記憶の海辺』(青土社)にある。高校の図書館司書との出会いが外国語に目覚めるきっかけだった▼55歳で東京大教授を辞め文筆一本に。カフカの小説を全部訳す、好きな山に登る、なるたけモノを持たない、という三つの予定を立てる。ゲーテやカフカは小欄の手に余るが、該博な知識にあふれ飄々[ひょうひょう]としたユーモアを漂わせるエッセーは何度か引用させてもらった▼『記憶の-』刊行時の本紙インタビューが印象に残る。自伝の執筆を引き受けたのは、空気を読んで他者に合わせることが求められる社会に違和感があったから。「僕はいつも自分に問い掛け、主体的に責任を取りながら、生きてきたつもり」と語った▼『すごいトシヨリ-』にはこうある。<僕は、風のようにいなくなるといいな>。その願いはかなっただろうか。