(7)「避難スイッチ」「大丈夫」通用しない 「逃げろ」の声、背中押す 

熊本日日新聞 | 2020年9月3日 00:00

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茶屋集落が避難開始の目安としている民家の前で、豪雨災害を振り返る山口敏章さん=8月11日、球磨村

 熊本県人吉市と接する球磨村渡地区の茶屋集落には、28戸約50人が暮らしていた。球磨川とJR肥薩線に挟まれたくぼ地。氾濫した球磨川は25戸を水没させ、うち8戸を押し流した。

 7月4日午前2時半ごろ、班長の山口敏章さん(73)は家の中に設置してある防災無線で目が覚めた。球磨川の水位の上昇を伝える内容だった。降りしきる雨の中、長靴を履いて傘を差し、4軒先の集落の最も下流にある家に向かった。

 集落は過去に何度も水害に遭った。その経験から、最下流の家の浸水が避難の目安だった。山口さんが着くと、既に床下浸水が始まっていた。集落内にたまる水を球磨川に吐き出す排水ポンプは正常に動いていた。「それなのに、なぜ…」

 山口さんは電灯が消えたままの家の玄関をたたき、「水が来ている」と声を掛けた。車が水没すれば生活の足を失う。既に多くの住民が川とは反対側の高台に車を移していた。

 山口さんも車を動かし、自宅に戻ったのが午前4時ごろ。黒く濁った水が集落に流れ込んでいた。「いつもの雨じゃなかっ」。早く高台に逃げるよう促す山口さんの叫び声が、傘を差して川の様子をうかがっていた住民たちの背中を押した。

 午前6時ごろ、集落は濁流にのまれた。ただ、犠牲者は出なかった。山口さんは「夜中にもかかわらず住民が車を動かすため、いったん起きたことが幸いした。スムーズに避難に移れる状況だった」と振り返る。

 近年、避難を促す情報は格段に充実した。気象庁は2013年、数十年に1度の災害が予想される際に発表する「特別警報」を新設。19年には避難行動を分かりやすく伝えるため、5段階の警戒レベル表示を始めた。緊急速報メールも配信されるようになった。

 しかし、逃げ遅れた犠牲者は後を絶たない。今回の豪雨の犠牲者65人のうち、約6割の38人は自宅や施設の屋内で見つかった。

 全18戸の大半が浸水した相良村柳瀬十島区の西村集落。7月4日午前5時ごろ、球磨川の水位の急上昇に気付いた班長の西村俊則さん(77)は、集落を一軒ずつ回って避難を呼び掛けた。

 ただ、全員がすぐに逃げたわけではない。70代の男性は首の辺りまで水に漬かったが、おけを浮かべ、中に入れた携帯電話で救助を求めた。自宅の荷物を2階に上げ、避難が遅れた住民もいた。

 西村さんは「『これまで大丈夫だったから、今回も大丈夫』と呼び掛けを信じない人もいた」と振り返り、「住民一人一人が、命に勝るものはないと自覚することが大切だと感じた」と話す。

 自分なりの基準で避難のタイミングを決めておく“避難スイッチ”を提唱する京都大防災研究所の矢守克也教授(57)=防災心理学=は「近所の人たちの呼び掛けも有効なスイッチになる」とした上で、こう続けた。「未曽有の災害が毎年起きる社会に生きている。『これまで大丈夫だった』は通用しない」(臼杵大介)

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