(4)65年水害、人吉市民の記憶 「緊急放流」不信感根強く

熊本日日新聞 | 2020年10月7日 00:00

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1965年7月3日の豪雨で球磨川の濁流に洗われる人吉市九日町の商店街一帯

 「不気味なサイレンの音が鳴り響いて、水は暗い中をあれよあれよと右往左往している間に容赦なく押し寄せ…」「ダム放水の時はサイレンが鳴ります。これを聞くと戦争中の敵機来襲を思い出して身の毛がよだちます」

 川辺川ダム建設計画の契機となった1965(昭和40)年7月3日の水害。急激な水位上昇を経験した熊本県人吉市で、「人吉大水害体験者の会」が集めた証言集には、上流の水上村にある県営市房ダムの放流の記憶と恐怖が生々しく刻まれている。

 県や国は65年の水害時、市房ダムはいわゆる「緊急放流」をしておらず、人吉市での急激な水位上昇は「川辺川流域からの急激な流量増加」が原因だと主張する。市房ダム洪水調節実績表によると、ダムへの流入量が最大毎秒862トンに対して放流量は521トン。「341トンの調節効果があった」(県河川課)という見解だ。

 それでも球磨川流域で、実際に身がすくむ思いをした住民の間にはダム放流に対する不信感が根強い。

 4代続く川漁師で、人吉市鬼木町でアユ問屋を営む吉村勝徳さん(72)も65年水害を経験。「近年の豪雨でもダムがある所で大きな被害が出ている。ダムには不信感しかない」と言い切る。

 2018年7月の西日本豪雨では、愛媛県の1級河川・肱[ひじ]川の野村ダムと鹿野川ダムが緊急放流し、「下流の被害を拡大した」と住民訴訟に発展した。正式名は「異常洪水時防災操作」。ダムで上流からの流量をためつつ下流に流す洪水調節を続けた結果、満水に近づきダムが危険と判断した時に始める操作だ。放流量を増やし、流入量に近づけて最終的に同量を放流する。

 いわば「ダムがない状態」になるが、下流の水位は一時、急速に上昇。これが「被害を拡大した」というのがダム反対派の訴えだ。

 県によると、60年に完成した市房ダムは71年8月、82年7月、95年7月と過去3回、緊急放流をした。今回の豪雨でも満水まで「あと10センチ」の高さに水が迫った。ただ今回は、流入量がピークとなる約6時間前まで「予備放流」を約11時間にわたって実施。事前に水位を約160センチ下げていたことで、緊急放流をぎりぎり避けることができた。

 「ダムに一定の治水効果があるのは分かるが、ダムが持っている怖さも示して治水を検討してほしい」。多良木町多良木の社会保険労務士、久保田悦子さん(68)は9月23日、球磨川の治水を検討する場に住民意見を反映させるよう求めるため県庁に足を運んだ。

 川辺川ダムが建設されれば、洪水調節容量は市房ダムの4・6倍。そんな巨大ダムが緊急放流や決壊した場合、流域の被害はどうなるのか。その不安が頭から離れない。さらに、もし川辺川ダムと市房ダムがダブルで緊急放流する事態に陥ったとしたら…。

 「下流の状況を的確に予測しながら被害を広げないよう放流するため、二つのダムを連携して操作できるのでしょうか?」(太路秀紀、臼杵大介)

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