(3)“別れ” 母亡くした村職員 残された命「復興に尽くす」

熊本日日新聞 | 2020年10月19日 00:00

image
小此木八郎防災担当相(右手前)に千寿園が被災した当時の状況を説明する球磨村住民福祉課長の大岩正明さん(左から2人目)=9月26日、球磨村渡

 9月26日、熊本県球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」の前に、防災服に身を包んだ小此木八郎防災担当相と蒲島郁夫知事の姿があった。


 献花と黙とうの後、球磨村住民福祉課長の大岩正明さん(51)がマイクを手に、時折声を詰まらせながら、被災当時の状況を説明した。千寿園を濁流が襲った7月4日朝、大岩さんも入所者の救助に当たった一人だった。

 大岩さんの母ユウコさん(83)も千寿園で暮らしていたが、帰らぬ人となった。「今でも当時を冷静に振り返れない。思い出そうとすると冷たい水の感覚がよみがえる」

 大岩さんは4日午前4時ごろ、家族4人を高台に避難させた後、近所の住民から「千寿園の入所者を避難させる人手が足りない」と聞いて駆け付けた。

 北側の棟で入所者の2階への垂直避難を手伝っている時、1階の食堂で車いすに座っているユウコさんが見えた。足元に浸水が始まっていた。ユウコさんらを水にぬらさないようテーブルで作った“島”の上に抱え上げた。その場を離れて間もなく、濁流が流れ込んだ。

 浸水のスピードは早く、すぐに足がつかなくなった。大岩さんは近くにいた入所者の女性を片手で担ぎ、浮かんでいたたんすにつかまって救助を待った。園内の浸水は高さ3メートルを超え、母の姿は見えなくなっていた。

 自分の死も覚悟しながら「無事でいて」と母を案じた。屋上から差し伸べられたはしごで難を逃れ、水が引くのを待った。

 水が引いた後、大量の土砂に覆われた1階に下りると、ユウコさんがぬれたソファの上に寝かされていた。「眠っているようだった」と大岩さん。

 ユウコさんを含め、1階に取り残されて心肺停止となった高齢者14人は車いすに乗せられ、搬送を待った。

 「きつかったね」「ごめんなさい」。大岩さんは、千寿園の若い男性職員がペットボトルの水をきれいなタオルに含ませ、ユウコさんの顔の泥を洗い流してくれる姿を眺めていた。「『ごめんなさい』という声が聞こえて涙が止まらなかった。家族のように接してくれた園の職員には感謝している」

 大岩さんは3人兄弟の次男。県外の専門学校を卒業した後、東京の老人ホームで働いていた。28年前、ユウコさんから村役場への就職を薦められ、Uターンして古里に戻った。

 ユウコさんは、千寿園がある渡地区と同様、甚大な被害が出た神瀬[こうのせ]地区で商店を営んでいた。生前、「田舎暮らしはみんなの助け合いがあってこそ」と、いつも口にしていたという。

 大岩さんは7月9日にユウコさんの火葬だけを済ませると、葬儀は後回しにして翌10日から村民の生活再建に奔走した。葬儀を終えたのは、お盆の8月15日だった。

 「母が残してくれた命。村の復旧復興のために自分ができることを精いっぱいやりたい」。大岩さんは葬儀でそう誓った。(隅川俊彦、小山智史)

ランキング

イベント情報