(5)“孤立” 職員集合できず 避難計画浸水で機能不全

熊本日日新聞 | 2020年10月21日 00:00

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被災から3カ月が経過し、正面に立入禁止のテープが張られた千寿園=4日、球磨村渡(小野宏明)

 熊本県球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」の避難計画は、避難準備・高齢者等避難開始が発令された時、「避難等を開始する」と明記している。夜間や休日の警報発表で園に駆け付ける職員12人も指定。さらに避難勧告・指示が出た場合は「施設全体の避難誘導」にレベルを上げて、対応要員を約90人の全職員と定めていた。

 ただ、実際には、そうならなかった。豪雨に見舞われた7月3日夜から4日朝まで、後藤亜樹施設長を頂点とする職員の連絡網は機能しなかった。球磨村が避難勧告を発令した3日午後10時20分以降も、職員が計画通り千寿園に集まることはできなかった。避難を指揮すべき後藤施設長、後藤竜一副施設長らもたどり着かなかった。

 村は、千寿園への浸水を最大床上約3・1メートルに達したと推定している。当時、当直のアルバイトで施設内に泊まっていた元消防士の男性(61)は、入所者を2階に垂直避難させた一人。「早い段階で職員を集められていれば、入所者全員の避難が間に合ったかもしれない」と悔やむ。

 千寿園の入所者らをボートで救出した近くのラフティング運営事業者「ランドアース」の職員、久保田立爾さん(38)は、4日早朝の千寿園周辺の浸水状況について「6時ごろには球磨川の水があふれ、国道219号が冠水して車では通れなくなっていた」と話す。

 その後、支流の小川から球磨川に流れ込めなくなった水が、園南側の国道219号やJR肥薩線の線路上を球磨川本流と逆方向に流れる様子も目撃した。

 専門家は、球磨川の水位上昇で「バックウォーター現象」が発生した可能性を指摘。千寿園は周辺から孤立した状態になっていたとみられる。

 入所していた母、日當タツエさん(82)を亡くした兵庫県明石市に住む次女の境目美奈子さん(54)は9月26日、後藤施設長らの訪問と謝罪を受けた。診察券や預かり金の残りなどは受け取ったが、母が愛用した帽子や衣類は返ってこなかった。

 境目さんによると、園側は被災状況を説明する中で「計画に沿って避難した」と話した。「水害への危機感はなかったのか。他の職員を呼ぶことができたのでは」と尋ねると、「感じるものはあった。ただ、職員みんなが被災し、施設に来てもらうことができなかった。施設内が一番安全な場所だった」と説明したという。

 境目さんは「千寿園の職員に非常に良くしてもらった」と感謝する一方、園側の対応に「当時を検証しようという姿勢が感じられなかった」と残念がる。

 2016年8月の台風10号の豪雨による浸水では、岩手県岩泉町の高齢者施設「楽ん楽ん」の入所者9人が死亡。境目さんは、ほかにも高齢者が犠牲になった災害に触れ、「千寿園でも14人が亡くなった。この事実を、高齢者が早め早めの避難をするための教訓にしてほしい」と願う。

 「検証が不十分なままでは、諦めがつかない」と言葉に力を込めた。(隅川俊彦、中島忠道)