「母子の命守る信念の人」熊本県内関係者悼む声 「こうのとり」慈恵病院・蓮田理事長死去

熊本日日新聞 | 2020年10月26日 09:32

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完成した「こうのとりのゆりかご」の扉の前で記者会見する蓮田太二理事長=2007年5月1日、熊本市の慈恵病院

 慈恵病院(熊本市西区)理事長の蓮田太二さんが25日、亡くなった。「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」の開設や運営に携わるなどした熊本県内の関係者は「強い信念を持ち、芯のぶれない人だった」としのんだ。

 同病院の元看護部長として「ゆりかご」の開設や運営に奔走した田尻由貴子さん(70)は、「患者第一で、母子の命を守るという強い信念があった。前例のないゆりかごをつくるには大変なパワーが必要だったが、先生と二人三脚で歩んできた」と回顧。「遺志を継ぎ、困っている母子に寄り添い続ける」と決意を新たにした。

 長男で同病院副院長の蓮田健さん(54)は「ゆりかご開設は父にしかできなかったことで、自分にとっても大きな存在。晩年の闘病は壮絶だったので、ようやくゆっくりできる日が来たのだと思う。安心して休んでほしい」と語った。

 ゆりかご開設時の知事として預け入れ事例の検証会議を設けた潮谷義子さん(81)は「本当に惜しい『命の思想家』を亡くした」と落胆。一方、ゆりかごの在り方について「社会的評価も財政基盤も不安定なまま運営されている。国は法的な位置付けを明確にすべきだ」と注文した。

 開設を許可した前熊本市長の幸山政史さん(55)は「命を大切にする真摯[しんし]な姿勢に教えられることばかりだった。その信念はゆりかごを通して今後も受け継がれていくと思う。『救われた命は確かにありましたね』と申し上げたい」と語った。

 学生時代から蓮田さんを知る、県医師会長の福田稠[しげる]さん(74)は「公私共に指導してくれ、優しい人だった。ゆりかご批判に苦悩を漏らすこともあったが、決して芯はぶれなかった。産科医として助けてもらったことも多く、とても残念だ」と惜しんだ。(福井一基、深川杏樹)