相模原殺傷、向き合い続ける ドキュメンタリー制作・澤則雄さん

熊本日日新聞 | 2021年09月20日 13:50

映像作家・澤則雄さん
殺傷事件が起きた「津久井やまゆり園」の献花台前で手を合わせる人たち=2016年7月、相模原市緑区

 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で元職員の植松聖死刑囚が入所者19人を殺害し、職員を含む26人が重軽傷を負った凄惨[せいさん]な事件から5年。風化が叫ばれる中、事件を追ったドキュメンタリー「生きるのに理由はいるの?」を企画・制作した澤則雄さん(69)=東京都=は「事件が投げかけた問いに社会はまだ向き合っていない」と語る。(聞き手・志賀茉里耶)

 私はもともと、障害者や福祉の世界に精通していたわけではありません。関心を持つきっかけになったのは、植松死刑囚の故郷である東京・日野市で福祉活動をしている方との出会いでした。1970年代に起きた「府中療育センター闘争」に参加していた人で、福祉のあり方の原点を教えてもらいました。

 府中療育センターは68年に東京都に建設された重度障害者を対象とした大規模施設で、規模は東洋一とも言われました。しかし、女性の入浴介助を男性職員がしたり、部屋が施錠され自由な出入りが禁じられたり、入所時に死亡後の解剖承諾書に同意させられたり、実態はおよそ人間的な暮らしと言えないものでした。闘争では、入所者が運営の改善を訴え、福祉とは何かを問い掛けました。

 それから50年近くがたち、「障害者は不幸しか生まない」と主張する植松死刑囚が相模原殺傷事件を起こしました。目に見える社会の変化としてはバリアフリーや福祉行政が進んだと言われますが、一体何が変わったのかと思ったのが映画制作のきっかけです。

「関係ない」

 私は60年余り生きてきましたが、身近に障害者がいませんでした。しかし、ふと見渡すと、当たり前のように障害者施設や作業所があり、車いすでバスに乗る人がいます。一緒に地域の中で暮らしているという認識すらなかったんです。存在に対する無関心が見えなくしていたんだと思います。映画は自分自身への問い掛けでもあります。

 地下鉄サリン事件や秋葉原通り魔事件は誰の記憶にも鮮烈に残っています。事件後に生まれた学生ですら知っていました。一方で、やまゆり園で起こった事件は1人の人間が19人を殺した戦後最悪の事件ですが、1年も経たないうちに風化が叫ばれ始めました。

 報道のされ方もあると思いますが、「そこにいたら自分も被害にあっていたかもしれない」という恐怖心や犯人への憎悪の度合いが、決定的に違うのではないでしょうか。つまり、障害者を狙った事件であり、多くの人が自分とは関係ない事件だと思っている。私自身も「自分には刃が向くはずがない」という安心感のある場所に立って事件を見ていたことに気付きました。事件の残忍さと社会の認識のギャップが大きい事件でしょう。

支援の実態

 今年初めてやまゆり園の中で追悼式が開かれました。会見で神奈川県の黒岩祐治知事は「(やまゆり園で)虐待と言われても仕方ない支援があったのは間違いない。利用者の安全のために車いすに縛り付けておく、部屋に閉じ込めておく、これは変えなければいけない」と訴えました。一方、園を運営する「かながわ共同会」は「園での体験が事件を生み出したわけではない」と主張し、いまひとつかみ合っていません。

 裁判では、園の職員が入所者へ暴力をふるい、人として扱っていなかったと植松死刑囚が語っています。彼が「暴力は良くない」と職員に言ったところ、「お前も2、3年たてば分かる」と返されたと言います。最初はこんなことをしていいのかという目線が植松死刑囚にもあったはずです。それがいつのまにか同化するように「障害者はいないほうがいい」という考えに変わったのでしょう。

 裁判は当初、公判が26回予定されていましたが、16回で最終弁論を迎え、なぜ植松死刑囚が障害者が必要ないと考えるようになったのか、その過程は明らかにならないままに終わってしまいました。

本音と建前

 福祉行政は、どこか本音と建前の二重構造があると思います。障害のある者もない者も共に生きる社会を作りましょう、というのが建前です。植松死刑囚は犯行前に衆院議長に宛てた手紙で「人類が心の隅に隠した想い」を実行に移したと書いています。決して容認できない考えですが、何か社会の喉元に突きつけられた刃のように感じました。

 事件後、SNSやネット上の掲示板には植松死刑囚に賛同したりあがめたりする声があふれました。上映会の中でも、障害者施設で働く職員が「ふとした瞬間に植松と同じ気持ちが湧いてくることがある」と感想を書いてくれたことがあります。私も2019年からグループホームで働き始め、意思疎通が難しい人たちと向き合ってきました。働くうちにその人たちの意思の表し方が分かるようになってくる一方、辛く感じてしまう時もあります。

 自分の中に芽生えるそういう感情を認めることに葛藤もあります。それでもそういった感情が生まれることを無理に押し込めるだけでは、きれいごとになり、問題を回避しているのではないでしょうか。障害者と健常者が分かち合えない部分、越えられない価値観があります。私たちは事件が社会に投げかけたことにふたをせず、向き合い続けるべきなのです。

 タイトルの「生きるのに理由はいるの?」は私自身、生きるのに理由はいらない、と言い切れず「?」は取れませんでした。障害者だけではなく、健常者にだって生きる意味や価値を問われることがあります。

 映画は、植松死刑囚の主張が正しいとか正しくないとかの評価をしていません。上映会では必ず討論会をセットにしています。見る人が考えてほしいからです。社会的には終わった事件かもしれませんが、事件が投げかけたものを社会はまだ受け止めていません。私たちは自分自身の「?」に問い掛け続けるしかないのです。

◇さわ・のりお 1952年北海道美唄市生まれ。高校卒業後、上京。マグロ漁船員や大道具のアルバイトを経て25歳、テレビ制作の道に。フジテレビ系列の番組制作会社でディレクターやプロデューサーとして旅番組や釣り番組を制作。「生きるのに理由はいるの?」は定年退職後、初のドキュメンタリー映画。2019年からは東京都内のグループホームでガイドヘルパーとしても勤務。

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