(2)「荒瀬」撤去の町 土砂や悪臭、ダムの弊害体験

熊本日日新聞 | 2020年11月13日 00:00

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自宅に近い球磨川沿いに立つ本田進さん。川には豪雨で流された坂本橋の赤い鉄骨が無残な姿で残っている=6日、八代市坂本町

 「ダムによって川は死ぬ」。10月上旬、7月の豪雨を検証するため、市民団体が熊本県八代市で開いたシンポジウム。同市坂本町坂本の本田進さん(86)は、川辺川ダムの建設反対を明言した。

 球磨川沿いで営むスーパーと自宅は、完全に水没した。豪雨から4カ月以上たった今も、片付けや修復に追われている。その合間を縫っては、治水の行方を議論するさまざまな会合に出席し、声を上げている。

 坂本町は、全国初となったダム撤去の歴史を持つ。発電専用の県営荒瀬ダムだ。

 1955年に荒瀬ダムが建設されると、清流は一変した。ダム湖には土砂やヘドロが堆積し、流域住民は悪臭に悩まされるようになった。本田さんは「洪水で自宅が冠水しても、以前は水が引けばきれいな砂が残るだけだった。ダムができてからは、ヘドロがたまるようになった」と振り返る。

 そうした中、上流に川辺川ダムを建設する動きが本格化。「豪雨時、荒瀬ダムの何倍もあるダムが放流すれば、どれだけの泥水が押し寄せるのだろう…」。不安にかられた本田さんらは2001年、川辺川ダムの是非を問う住民投票条例の制定を合併前の坂本村議会に請求した。

 有権者の約25%に当たる1312人の署名が集まったが、村議会は請求を否決。それでも、この請求は、身近な荒瀬ダムに対する住民の真剣な議論を掘り起こすきっかけとなった。ダム撤去は村執行部や議会も含めた村ぐるみの要望に発展。蒲島郁夫知事が撤去を表明し、12年に始まった撤去工事は18年3月に完了した。球磨川は元の美しい姿を取り戻しつつある。

 豪雨で再浮上した川辺川ダム計画でも問われる「民意」。坂本町中谷の木本生光さん(85)は「坂本町でも多くの人が被害に遭ったが、ダムでは災害を防ぐことはできないと考える住民は多い。いろんなダムの弊害を荒瀬で体験しているから」と説明する。

 むしろ、住民の間に高まっているのは、上流にある電源開発の瀬戸石ダム(芦北町、球磨村)への不信感だという。豪雨でラフティングの休業を余儀なくされている坂本町荒瀬の溝口隼平さん(39)は「瀬戸石ダムに土砂が堆積して上流の河床が高くなり、被害が拡大したのではないか」と考えている。

 球磨川の治水方針を判断するため、蒲島知事が10月下旬に坂本町で開いた意見聴取会には34人が参加した。さまざまな意見の中に、ダム建設を求める声は一つもなかった。

 解体を待つ家が並ぶ同町葉木の藤崎昭子さん(72)は「復興に向けて地域がまとまることが今は一番大切。ダム建設議論の賛否によって分断させられたくない」と力を込めた。(元村彩)

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