(6)五木村と相良村 ダムに翻弄され半世紀 

熊本日日新聞 | 2020年11月17日 00:00

image
川辺川ダムの水没予定地にできた「渓流ヴィラITSUKI」(右)。総支配人の仮山常雄さんはダムの賛否について「村の苦悩を知らずに言えない」と言葉を選ぶ=10月23日、五木村

 「まさか、ダム問題が再燃するなんて思ってもいなかった」。川辺川ダム建設計画の水没予定地を抱える熊本県五木村。昨年4月、その予定地にオープンした第三セクターの宿泊施設「渓流ヴィラITSUKI」の総支配人、仮山常雄さん(55)は戸惑いを隠せない。

 1966年にダム計画が発表された当初、中心部が水没する村は猛反発した。それでも96年、本体着工に同意したのは、水害に苦しむ下流域のための苦渋の決断だった。約500世帯が移転を余儀なくされた。

 ところが、2008年に蒲島郁夫知事が白紙撤回を表明。09年に国が中止を打ち出すと、「ダムとの共存」を前提として描き直した村づくりは、またしても方向転換を迫られた。村は国から水没予定地を借り受け、多目的広場を整備するなど観光振興に力を注いだ。

 渓流ヴィラITSUKIもその一つ。川辺川沿いにウッドデッキがあり、オープン1年で1600人超が利用した。この新型コロナウイルス禍にあっても、六つの宿泊棟に分かれているため「密」が避けやすいと人気だ。

 仮山さんはオープンを機に、鹿児島県南さつま市から五木村に移住した。ダム建設となれば施設は移転せざるを得ないが、「村の苦悩を知らずに賛否は言えない」と言葉を選びつつ、「いずれにせよ、多くの人に来てもらえるよう精いっぱいやるだけ」と仕事に打ち込む。

 再び揺れ動きだした村民の思い。水没者団体の事務局長として国や県と交渉してきた北原束さん(84)は「断腸の思いでダムを受け入れた。もうこれ以上、村と住民を振り回さないでほしい」と静かに訴える。

 2日、県が村役場で開いた球磨川治水の意見聴取会も、出席者から河床の土砂撤去などを求める声が相次ぐ一方、ダムの賛否への言及は少なかった。

 ダム計画は村の過疎化に拍車をかけ、人口はピーク時の約6分の1の千人余りまで減った。自らも高台の頭地代替地に移り住んだ北原さんは「高齢化が進み、老人ばかりになった。ダムの補助金がないと、村は維持できない」と嘆いた。

 一方、ダム建設予定地の相良村。村を縦断する川辺川は、「水質日本一」に10年以上輝く清流で、吉松啓一村長は「清流を残してほしい思いは村民の総意」とこの時点でのダム論議にくぎを刺す。

 同村柳瀬の川漁師、田副雄一さん(50)は川辺川に魅せられ、旧城南町(現熊本市)から移住。「清流が残れば人吉球磨は必ず再生できる。川を汚すダムを造ってはいけない」と力を込める。

 半世紀以上にわたり、国策に翻弄[ほんろう]されてきた五木村と相良村。双方の住民は、新たな局面に立たされている。(臼杵大介、小山智史)

ランキング

イベント情報