空襲時に墜落、米軍機搭乗員5人を斬首 太平洋戦争末期の「松橋空襲」

熊本日日新聞 | 2021年07月22日 11:00

松橋空襲の任務中に墜落した米軍機の搭乗員5人(米国国立公文書館所蔵、古牧昭三さん提供)

 太平洋戦争末期、現在の熊本県宇城市松橋町を空襲した米軍機が任務中に墜落し、搭乗員5人が旧日本陸軍西部軍司令部(福岡市)により、福岡市で斬首されていたことが21日、市民団体「くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワーク」などの調査で分かった。西部軍は、九州に墜落したほかの米軍機の搭乗員も処刑しており、悲惨な戦史の一端が明らかになった。

 松橋空襲は1945年7月27日~8月10日に3回あった。県内の戦争遺跡の調査を続ける同ネットワークと、連合軍の捕虜問題などについて調査・研究する民間団体「POW研究会」によると、2回目の空襲の8月7日、2個飛行隊で編成された米軍爆撃機B25のうち1機が八代海の鏡川河口付近に墜落した。

 墜落の原因やその後の詳細は不明だが、搭乗していた米兵5人は全員が生存。熊本市の旧陸軍熊本地区憲兵隊本部に引き渡された後、西部軍司令部へ連行された。憲兵や日本軍の軍人らの証言から8月15日、福岡市郊外の油山で、日本人に対する無差別爆撃の罪として軍刀による斬首で処刑されたとみられる。

 BC級戦犯横浜裁判資料の地図(イラスト)には、「搭乗員たちは目隠しをされ、後ろ手に縛られて顔は西の方向に向かされていた」「処刑を待つ5~6人の米軍捕虜」などの英語表記がある。

 同ネットワークの高谷和生代表(66)=玉名市=は「加害の立場だった米兵が、処刑されると被害者になる。松橋空襲の一連の流れは加害と被害が凝縮した事件であり、歴史の大きな流れの中で理解しないといけない」と説明。POW研究会の古牧昭三さん(73)=福岡市=は「きちんと調査し、検証した史実を残すことが重要。これからも戦争と向き合い続けたい」と話している。

 高谷代表が7月21日、宇城市役所を訪れ、松橋空襲の弾痕が残る市内の永代鉄橋の調査結果と併せ、守田憲史市長らに報告した。(飛松佐和子)

 ◇松橋空襲 太平洋戦争末期の1945年7月27日、8月7日、同10日の計3回、米軍機が襲来。現在のJR松橋駅付近や大野川に架かる永代鉄橋、市街地が攻撃を受けた。不知火町や宇土市なども爆撃されたが、被害の全容は分かっていない。

米軍機が墜落したと想定される鏡川河口を調査する高谷和生さん(左)と古牧昭三さん=11日、八代市

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