飼い犬は木につり下げられて…「恵楓園の子」が語る差別 ハンセン病家族訴訟判決から2年

熊本日日新聞 | 2021年06月26日 10:45

ハンセン病家族訴訟の判決後、自らの体験を語るようになった女性。「未来のために、父の無念を語り続けたい」と語る

 ハンセン病患者の隔離政策で家族が差別や偏見を受けた被害を認め、国に賠償を命じた熊本地裁判決から28日で2年になる。原告の50代女性(熊本市)は判決が出た後から、自らの体験を少しずつ語り始めた。しかし差別への恐怖から名前は伏せたまま。新型コロナウイルス禍で新たな差別も生まれる中、差別のない未来を願う。

 女性の両親は鹿児島県出身。父親は20歳の頃、ハンセン病を発症。交際中だった母親は、身内や役場職員から「病気が遺伝する」と結婚を強く反対された。だが、読書家の母親はハンセン病は感染しにくいことを理解しており、「病気が遺伝しないことを証明してみせる」と結婚して郷里を離れたという。

 父親は、合志市の国立療養所・菊池恵楓園に入所し、母親は近くに住みながら、三女の女性を含む4人の子どもを育てた。

 父親が恵楓園から時々、訪ねてくるという生活。近所から「恵楓園の子」と呼ばれた。回覧板が届くことはなく、集落の井戸も使えない中で育った。

 「同級生だけでなく教師からも無視され続けた。友達とは何かを理解できないままだった」。飼い犬がいなくなり、家の裏の木につり下げられて死んでいたこともあった。「白い毛が真っ赤に血で染まっていたのをはっきり覚えている」

 女性が「差別」を言葉として強く意識したのは小学校の道徳の授業。被差別部落への差別があることを知り、「私がされていることと同じ」と感じた。ショックを受け母親に話すと「間違っているのは国。堂々としていなさい」と諭された。

 地元から離れた高校に進学し、女性は初めて友達ができたが、父親のことは話せなかった。打ち明けたのは元夫だけ。元夫の親族にも一切伝えなかった。父親ががんを患い、1993年に亡くなる直前、元夫の親族が見舞いたいと言ってくれたが、「面会謝絶なので」と断った。

 女性は、2016年までに家族訴訟の原告になったが、当事者として見られることを恐れ、熊本地裁には一度も足を運んでいない。

 判決から数日後、支援者らが主催した東京での集会で、初めて人前で父親のことを話した。後遺症で曲がった左手を、いつもズボンのポケットに隠していた父親の姿を語り終わると、「多くの人が駆け寄ってくれた。語る意義を感じた」。

 以来、求めに応じて神奈川や福岡などでも体験を語った。ただ、父親の病気が理由となって姉の結婚が破談になった経験もあり、今も本名は明かしていない。県内で体験を語ったのも天草地域だけだ。差別が渦巻いた地元でこそ語る意義があると思う一方、きょうだいやその家族への中傷が続くと思うと、匿名にせざるを得ない。

 女性はコロナ禍の中で、感染者や家族、医療従事者が差別を受けていることに心を痛めている。「これからはワクチン未接種の人が差別されそう。差別はなくならないかもしれないが、最小限に食い止めることはできる。未来の子どもたちのために語り続ける」(臼杵大介)

 ■伸び悩む補償申請 対象の3割

 厚生労働省によると、ハンセン病元患者家族が受けた被害に対し、国が支払う補償金の申請は、10日現在で7181人。推定対象者約2万4千人に対して約3割にとどまり、伸び悩んでいる。

 申請の受け付けは、家族補償法の施行と同じ、2019年11月に始まった。申請は、家族訴訟判決1年に当たる20年6月までの約7カ月間で5368人。しかし、その後の約1年間での申請は、1813人に減った。

 元患者と家族の支援者らは、「申請数が伸びないのは、家族であることを知られることでトラブルに巻き込まれることへの不安が根強いため」と強調。偏見や差別が解消されていないことが背景にあると指摘する。

 県は20年4月に県ハンセン病問題相談・支援センター「りんどう」を設け、申請をサポートしている。請求期限は24年11月21日。りんどうTEL096(365)7606。(臼杵大介)

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