食考くまもと2007

天草市で「こっぱ」作り 知恵絞った保存食
お年寄りが児童らに指導 地域ぐるみで食文化継承

 飽食の時代。戦後の経済成長と共に急速に発達した流通は、季節を問わずさまざまな食材を日本の隅々にまでもたらし、生活の知恵から生まれた各地の保存食は次第に姿を消しつつある。耕作地の少ない天草地方で生まれた「こっぱ」も、その一つ。サツマイモを干して作るこの保存食は、食料事情の厳しい戦中、戦後期、住民の主食になった“命の食”でもある。

ゆであがった「こっぱ」と児童たち。1週間から10日干せば出来上がりだ
校庭で育てたサツマイモを切る児童。1センチ弱ほどの厚さに切った後、真ん中に穴を開ける
サツマイモをわらで編んだ「イモ串」に通す児童と老人クラブのメンバー
 「このサツマイモ固いなあ。切りにくいよ」

 「包丁には気を付けて。切ったら真ん中に穴を開けてごらん」

 十一月上旬、天草市五和町の鬼池小学校(富崎剛章校長、四十三人)の体育館に、児童や地域のお年寄りたちの楽しそうな声が響いた。一九八九年から始まった同校恒例の「こっぱもち」作り。この日は、児童たちが校庭で育てたサツマイモを鬼池老人クラブの指導で、こっぱに加工した。

 こっぱは、一センチ弱ぐらいに薄く切ったサツマイモをゆでた後、一週間から十日ほど干して出来上がる。わらで編んだ「イモ串」に通したこっぱを軒先につるし、十分に乾燥させた後、床下の釜に入れて保存していた。

 半農半漁の鬼池地区は、海に近い中山間地。耕作地は少なく、わずかにできるコメも戦前は換金のための作物だった。

 老人クラブ会長の小川勲さん(77)は「いつも口にできるのは、荒れ地でも収穫できたサツマイモぐらいだった」と幼少時を振り返る。児童にサツマイモの栽培を指導する農業池田満正さん(78)も「戦中はコメを供出して手元には残らない。麦飯でも食べられればいい方で、主食はイモだった」という。

 ただ、頼みのサツマイモも「食べられるのは収穫から翌年の六、七月ごろまで。それ以降はイモから芽が出て、中がすかすかになってしまう」と小川さん。何とか保存できないかと、先人が知恵を絞って作り出したのがこっぱだった。

 「翌年のイモができるまでの三〜四カ月は、こっぱが頼り。こっぱがおやつの今の子どもたちには想像もできないだろうが、こっぱで何とか命をつないできた時期もあった」。小川さんら地域のお年寄りが共有する思いだ。

 鬼池小では、出来上がったこっぱをもち米と一緒について、こっぱもちを作る。かつて、こっぱの食べ方は、ゆがいて丸めて取り分けコメ代わりにするシンプルなもの。砂糖やショウガ、ゴマも混ぜたこっぱもちは「晴れ」の料理で、正月など特別な時だけのものだったという。

 同校で六回目のこっぱ作りを体験した六年生の宮崎拓巳君は「こっぱもちはおいしいし、作るのも楽しい。こっぱには、おじいちゃんやおばあちゃんのいろんな知恵が詰まっていることも分かった」。

 お年寄りと児童、保護者が集い、地区を挙げてこっぱ作りに取り組む鬼池地区。昔ながらの保存食作りの伝承行事は、生活に溶け込んだ「食」が果たしてきた役割の大きさを、子どもたちの心に確実に刻んでいる。(松本敦)

熊本日日新聞2007年11月16日朝刊

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