「こんなのが来ました」。社会部のデスクが、恥ずかしそうな顔で一枚の紙を持ってきました。
見ると、メールをプリントアウトしたもの。デスクは先日、母校の高校に招かれ講演したばかり。保護者からのメールには、「娘の感想に『新聞記者もいいな』とあったことがとてもうれしく感じました」とありました。
自分の高校時代の思い出に始まり、熊日の記者になってからの取材体験の中で、談合、水俣病、川辺川ダム問題などを話したそうです。「インターネット全盛ですが、『ウオームハート(温かい心)とクールマインド(冷静な目)』で勝負するプロの新聞記者の役割は消えないと思っています」という返事を書いたといいます。
青春の思い出の残る母校で、デスクはややボルテージを上げたのでしょうが、気持ちは痛いほど分かりました。というのも、熊日の記者の“立ち位置”がよく表れているからです。
熊本県内を主な発行エリアとする熊日と全国紙、ブロック紙との違いは何か。いろんな説明が可能でしょうが、私は「存在距離の近さ」ということを思います。全国紙、ブロック紙に対し、熊日記者は、熊本という土地に立ち続けることになります。東京、福岡の勤務もありますが、核は熊本。知人、友人がいます、何より取材対象の人たちがいます。強い言葉で言えば、逃げられないのです。それはつらいことがあります。しかし、その「存在距離の近さ」ゆえの思いを共有できた時のうれしさは、人間の素晴らしさ、地域という場所の大切さがじんわり身に染み、何者にも替え難い喜びとなります。「記者もいいな」と同時に、「人っていいな」「熊本っていいな」と思うのです。
簡単なことではありませんが、階段を一段上がれば、見える世界は広がり、深まります。大事なのは、一段上がろうとする志があるか、ないかです。
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