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「隠れキリシタン」を『潜伏』『かくれ』に表記分け 2017年01月11日

「隠れキリシタン」を『潜伏』『かくれ』に表記分けの写真、図解
崎津集落ガイダンスセンターの大型パネル。「潜伏」と「かくれ」を区別して来訪者に案内している=天草市
「隠れキリシタン」を『潜伏』『かくれ』に表記分けの写真、図解
天草市河浦町に残る正月飾りの「幸木(さわぎ)」(壁の上部)と、逆さまにした臼の下にキリストへの供物を隠し入れる「臼飾り」。かくれキリシタンの家に伝わる風習とみられる=2016年12月、天草市
 「隠れキリシタン」の呼称を改め、「潜伏」と「かくれ」に使い分けます-。2018年世界文化遺産推薦候補「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する長崎県と天草市は10年前から、「隠れ」の使用をやめ「潜伏キリシタン」「かくれキリシタン」を使っている。キリシタン史を正確に伝えることが狙いだが、一般にはなじみが薄いようだ。天草市は世界遺産登録へ向け、関連施設での表記を徹底する方針だ。

 使い分けの理由について、天草市世界遺産推進室の平田豊弘室長は「グローバルなレベルで、禁教期と明治以降の信仰の実相をより正確に伝えるには、二つを使い分けた方が望ましい」と話す。

 長崎県は、長崎世界遺産学術委員会の専門家から「区別しないと、キリシタン関係の歴史を説明するのが困難になる」と指摘されたという。

 研究者らによると、江戸時代の禁教期にキリスト教の信仰を続けた人々は、明治政府がキリシタン禁制を解いた1873(明治6)年以降、主に(1)カトリック教会下に入り信仰(2)教会の下に入ることを拒み、宣教師も持たない独自の信仰形態を継続(3)仏教へ本格帰依-に分かれた。

 天草地域で(2)は昭和30年代までいたとみられ、長崎県内では平戸や外海[そとめ]などに今も存在している。

 信仰形態は(1)と(2)で違うが、長崎県長与町のキリシタン研究者児島康子さん(56)は「禁教期も含む総称として、一般的には区別されることなく『隠れキリシタン』と呼ばれてきた」と指摘する。

 しかし、キリシタン史研究では、江戸時代を中心とした禁教期の信者を「潜伏」、(2)を「かくれ」「カクレ」「隠れ」と呼び区別。長崎県は世界遺産登録推進室を設けた2007年4月以降、「潜伏」とともに、「学術用語として定説化している」として「かくれ」を使ってきた。漢字の「隠れ」を使うと、明治以降も隠れて信仰を続けていたという誤解を与えかねないため。

 天草市も世界遺産登録推進室を設置した07年10月から「隠れキリシタン」の使用をやめ、長崎県と足並みをそろえて「潜伏」と「かくれ」の使い分けを始めた。

 昨年8月に開館した同市河浦町崎津集落の資料館「みなと屋」は、展示物の説明などに使い分け。しかし一部施設には「潜伏」と表記すべきところを「隠れ」としたままの所もあり、見学者から疑問や問い合わせがあったという。

 市観光文化部の井手尾信幸部長は、「世界遺産登録に向け、歴史用語の混在は好ましくない。今後、推進の機運を盛り上げる中でキリシタン関連施設の表記を使い分けたい」と話す。(上野和伝)


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