745年に平城京が再び都となった際、造営当初、天皇が政務を執る大極殿を置いていた区域が小さな石で舗装し直されていたことが分かり、奈良文化財研究所が2日発表した。

平城宮大極殿の回廊に囲まれた敷地跡。奈良時代前半(指さしている溝状に掘った部分)に比べ、後半(右側の平らな部分)は敷き詰めた石が小さい=2日、奈良市
大極殿が新たに東側に建てられたため、元の場所が天皇の生活の場となり、同研究所は「政治の中心だった時期には見栄えを意識し大きな石を用いたが、その後は歩きやすさを考慮したのだろう」と話している。
最初の大極殿(第1次大極殿)の四方を取り巻く回廊跡のうち、西側の部分を調査。回廊に囲まれた区域は、第1次大極殿の時期には直径4-8センチの石が敷き詰められていた。奈良時代後半にはその上に土を載せ、直径1-4センチの比較的小さな石で舗装してあった。
第1次大極殿は740年に聖武天皇が恭仁京(京都府木津川市)に遷都するまで、政治の中心として機能。紫香楽宮などを経て都が平城京に戻った奈良時代後半、天皇らが生活する「西宮」として整備された。(共同)
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