聖武天皇が8世紀に造営した京都府木津川市加茂町の恭仁宮跡で、役人が政務を執った朝堂の跡とみられる柱の遺構が初めて見つかり、府教育委員会が27日発表した。
続日本紀には「天平16(744)年元日、朝堂に五位以上(の役人)を集めて供応した」などの記述がある。発掘した府教委の藤井整主任は「朝堂の存在が裏付けられ、分からない点が多い恭仁宮の構造の解明につながる」と話している。
府教委は、政治や儀式の場所だった朝堂院西南の一画を調査。直径1・5-1・7メートルの4つの柱穴が東西に約3メートル間隔で1列に並んでいた。直径や間隔は、平城宮や藤原宮の朝堂の遺構とほぼ同じで、同規模の朝堂があったようだ。今後、建物の数や位置の特定を進める。
天皇が執務した大極殿跡の後方でも、直径約0・8-1・5メートルの柱穴3つが約5メートル間隔で出土、天皇の控室の後殿があったとみられる。
現地説明会は29日午前10時と午後2時から。(共同)
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