新 聞 の 起 こ り 



・熊本初の白川新聞

 肥後藩の下級武士だった水島貫之は失業武士の救済と、印刷を通して文明開化に寄与しようと、県から千円を借り受け、伊喜見文吾らとともに長崎に出向いて印刷術を学び、印刷機を購入して活版社を創業しました。社業は順調に発展し、明治7年(1874)熊本における最初の白川新聞を創刊しました。のち県名の変更に伴い、明治9年に「熊本新聞」と改めました。進歩派の新聞で明治29年12月まで続きました。