新聞広告の変遷 


 新聞の広告は、わが国の日刊新聞がスタートした明治3年12月の「横浜毎日新聞」にすでに掲載されているのを見ても分かるように、新聞の発足と同時に始まっています。明治時代の広告は、初めのうちこそ活字を並べただけのものでしたが、やがて大きな活字が踊るようになり、絵入りの凸版が出現すると、とたんに華やかになりました。明治38年頃から写真入りの広告も見られるようになります。とにかくどうすれば人の目をひくか、様々な工夫が見られます。わざと絵を逆さまにしてみたり、活字を裏返しにしたり、縦長い枠囲いのものだったり、一面の頭から広告を入れたり、それはそれは活気に満ちています。この時代は書籍と売薬の広告が大半でした。

 大正時代になると、ほぼ現在のような上段に記事、下段に広告という形が定着し、あま り奇抜なものは見られなくなります。この時期は薬や化粧品、足袋、書籍などが広告の主 流を占めています。
 昭和に入ると  初期の頃は自動車広告が目立ち、昭和10年代に入ると節約や貯蓄・増産などの言葉が広告の中に入るようになり、戦時色がだんだん濃くなっていく様子が伺われます。「欲しがりません勝つまでは」とか「ぜいたくは敵だ」という言葉が使われはじめたのもこの頃からでした。

 戦後は2ページのタブロイド版が混じるなどスペースもありませんが、広告する品物も 無い状態からのスタートでした。昭和30年代、世の中が徐々に落ち着き、経済復興が軌道に乗りはじめると、ページ数も増え広告も比例して賑やかになっていきました。
 ただ、印刷メディアの独壇場だった媒体広告に放送メディアも加わり、やがてテレビに トップの座を明け渡すことになりました。しかし、新聞広告の必要性が失われた訳ではな く、好・不況の時代を反映しながら文化の伸展に寄与し続けています。
 展示では、明治、大正、昭和、平成と時代の流れを追って10年刻みで並べております。