神風連から西南の役

 明治新政府は文明開化へ向けて旧弊を廃し、西洋方式を次々に取り入れていきました。それまで特権階級だった武士達が、一般人として扱われるようになると、当然不満が爆発します。それが熊本では神風連の変(明治9年10月)となり、各地でも不平士族の反乱が起こります。その最大のものが西郷隆盛率いる薩摩軍による西南の役(明治10年2月)でした。西南の役には東京の有力新聞がこぞって特派員を派遣して報道合戦が展開されました。東京日日は福地源一郎(桜痴・写真右上、複製〉・久保田貫一、郵便報知は矢野文雄・大養毅、朝野新聞は成島柳北らが戦況を逐一打電して、紙面を賑わわせました。西南の役は新聞の役割を十分果たし、発行部数の拡大につながりました。


* 西南戦争の図 − 青島義雄氏寄贈
  福地桜痴・明治天皇に拝謁の福地桜痴 − 羽島知之氏蔵