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命一つひとつ大切に 熊本市 慈恵病院 提唱する蓮田太二理事長
「こうのとりのゆりかご」の提唱者である慈恵病院理事長の蓮田太二さん ◇はすだ・たいじ 父善明の教員としての赴任地だった旧台湾生まれ。善明は鹿本郡植木町出身。熊大医学部卒後、同大産婦人科教室の研究員を経て慈恵病院に勤務。
慈恵病院東側1階の「こうのとりのゆりかご」の設置予定場所(ドアの右隣の窓)
1939年、1回目の出征前の蓮田善明とそのひざに抱かれる当時3歳の太二さん=熊本近代文学館蔵
熊本市の許可判断が大詰めとなっている「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」は、慈恵病院=同市島崎=一階東側のリネン室窓際に設置される予定だ。病院敷地の表口からも裏口からも入れるが、奥まった人目につかない場所だ。さらに奥の隣室は、大理石の棺台が据えられた霊安室。その壁には、聖書の一節が書かれたプレートがあった。「私は復活である、生命である。私を信じる人は死んでも生きる。生きて私を信じる人は永遠に死なない」
同病院は、カトリックの修道会が明治時代に創設した、ハンセン病患者ら困窮者のための診療所を起源に持つ。「ゆりかご」の提唱者である蓮田太二理事長(71)が、産婦人科医として熊本大から転任してきたのは一九六九(昭和四十四)年。「医局からの指示で勤務しただけで、一年ぐらいで大学に戻るつもりだった」という。
しかし、医師、看護師を務めていたシスターたちの献身的な医療に心動かされ、指導教授の退官もあって、蓮田さんは病院にとどまる。七八年、修道会側の依頼で、医療法人を新たに設立して、運営を移管し、理事長に就任。赤字続きの経営を立て直した。
カトリックの信徒歴はまだ六年と意外に短い。「長年、医師として人の生死を見てきて、宗教心が動いた。何か最初から私に特別な信念があったように見る人もいるが、自分の意思とは関係なしに、周囲から動かされてきただけ」と笑う。
その柔和な蓮田さんの表情が、突如崩れたのが、父親について尋ねたときだった。しばらく口をつぐんだ後、大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。
父の名は蓮田善明。国文学者で評論家でもあった彼は、その文学とともに必ず特異な死にざまが語られる。南方軍の小隊長として、マレーシアで終戦を迎えた四日後、彼は上官の連隊長を射殺し、自身も自決した。「終戦後の訓示で、連隊長が天皇の戦争責任や日本精神の壊滅を説いた」ことに反発した行動ともされるが、真相は不明だ。
善明の名は七〇年、文学者三島由紀夫の割腹自殺によって再びクローズアップされた。善明に見いだされ文壇デビューした経歴を持つ三島は自決前、善明の伝記に「(善明の)死ぬことが文化だ、という考えの美しさからのがれることができない」との序文を寄せた。さらに伝記の作者には「(善明の)立派な最期をうらやむ」との手紙を送っていた。三島の行動は善明に影響されたというのが定説になった。以来、善明は三島と二重写しの、死のにおいをまとう国粋主義者のイメージをさらに強めた。
蓮田さんは、その世間で語られる父親の像に「違和感がある」という。「最初の出征時に父は部下を死なせてつらかったらしい。母には『戦争はするべきでない』と話していたと聞いている。その心苦しさが、終戦後の父の行動につながったのではないか。父は国に命をささげ、敵の命を奪うことを、無条件で賛美するような人物ではなかったと思う」。蓮田さんは涙をふき、声を絞り出した。
三島も、善明の文学や人柄と、その死との間には「軽々に結び合わされぬ断絶」があるとしながら、善明の「非妥協のやさしさ」が「日本の知識人に対する怒り」に転じたのだと結論づけている。その結論をなぞるかのように三島は、平和をむさぼる日本の戦後社会に怒り、自身の死を突き付けた。
一方、蓮田さんは「平和な時代なのに、幼い命が失われるのを傍観できない」と三島とは全く逆の「生への執着」で、社会に問題提起した。善明を強く意識した三島の行動とは違って、蓮田さんは「ゆりかごと父のこととは関係ない」と言う。しかし、安倍首相の「ゆりかご」への懸念にも「命一つひとつを大切にするのが美しい国ではないか」と譲らなかった蓮田さんこそ、亡き父の「非妥協のやさしさ」を無意識のうちに受け継いだのではなかったか。
善明は戦地から妻子に多くの手紙を送った。その一つに、三九年末、生まれたばかりの弟の額で「ラムネ玉転がし」をしていたという、いたずら者の「太ちゃん」にあてたハガキがある。
「太ちゃん、もういくつねんねするとお正月なの。太ちゃんいくつになるの。赤ちゃん、何かお話しますか。泣かしちゃいけませんね。かあいい、かあいい、しなさいね」(社会部 泉潤)
(熊本日日新聞2007年4月2日付朝刊)
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