くまにち.コム  
3大生活習慣病やこころ、こどもの病気など、最新治療法や先端医療の現状をお伝えします。  
   
ホーム > 読むクスリ > がん一覧 >   
読むクスリ
メール健康相談
休日在宅医 お役立ちリンク
お知らせ
フリーワード検索

     
肥後医育塾
笑顔ヘルCキャンペーン
メディカルネット
 
デリすぱホームドクターガイド



「本当に楽しかったあ」 <終末医療は今>
 ベッドの周りには孫や子供たち、義母、そして夫…。神崎万喜子さん=当時六十二歳=は二〇〇六年初夏、熊本市十禅寺の自宅で、七人の家族に囲まれて最期の時を迎えようとしていた。

医師やスタッフの電話連絡先が書かれた用紙をながめる神崎征也さん。自宅と医院を結ぶ心の支えにもなっていた=熊本市の自宅
緩和ケア 痛みや嘔吐(おうと)などの症状を薬の調節などで和らげたり、精神的な安らぎを与えたりすることで、患者の生命力や生活の質を高めることに重点を置いた医療。患者本人だけでなく、家族の心の支援も目的としている。末期患者が対象とされていたが、世界保健機関は2002年に「疾病の早期から」と定義を変更した。
 みんなが手をつないで見守っていた。夫の征也さん(65)だけは片手で携帯電話を握り締め、神崎さん宅に急行する掛かり付け医の指示を聞いていた。「息づかいを良く見ていてください。もし大きくて長い吐息があれば、その後にスーッと逝かれます」。その言葉通りに万喜子さんの呼吸は、深い息を吐いた直後に静かに止まった。「きれいな最期だなあ」と征也さんは思った。鼻に付けていた酸素吸入器は家族の手で取り外した。

 万喜子さんの死から半年。遺骨はまだ、自宅の仏壇に置いてある。「妻は最期まで穏やかな表情だった。自宅で家族に囲まれて逝くことに満足していたのだろう」。そう振り返る征也さんの表情も納得した様子だった。

 万喜子さんの病名は子宮がん。二〇〇〇年の夏に見つかり、手術したときにはリンパ節まで広がっていた。主治医は征也さんに告げた。「がんは取り除いたが、いずれ骨に転移するだろう」

 一年半後、万喜子さんの胸を強烈な痛みが走った。胸骨に六センチのがんができていた。放射線治療で一時は抑えたが、その後、頭や肩、腰の骨へ転移した。

 闘病を支えたのは家族との生活だった。二人の孫は病気の祖母のそばにいた。勉強は万喜子さんの部屋で。時には同じ布団で寝た。征也さんも、妻の体調や疼痛(とうつう)を気遣いながら、一緒に家族旅行に出かけた。「結婚して四十年だったが、最後の二年間が最も充実していた」と征也さん。

 ただ、がんの闘病末期は痛みが激しくなることが多い。〇五年夏、主治医は「今のうちにホスピス(緩和ケア病棟)がある病院と相談した方がいい」と薦めた。終末医療という現実に征也さんは困惑した。「これで終わりなのか。もう少しでいい。家族と過ごさせてあげたい」

 すがる思いで、在宅療養を支援する熊本ホームケアクリニック(同市神水)を頼った。「まず、痛みを取りましょう」。自宅に訪れた井田栄一院長の問診は丁寧だった。本人だけでなく、家族の意見も聞きながら、薬の量や種類が決められた。

 真夜中に体調が急変しても、すぐに医師や看護師が駆け付けた。旅先から電話しても、投薬などの対処法を細かく教えてくれた。「私や母の体調も診てくれた。井田先生は妻だけではなく、家族全員の主治医だった」と征也さん。

 死の一週間前、万喜子さんは就寝前の征也さんに語りかけた。「おとうさん、ありがとう。本当に楽しかったあ」

 万喜子さんのカルテに記入された死亡時刻は午後五時四十三分。医師ではなく家族が呼吸停止を見届けた時間だ。(梅野智博)

 (熊本日日新聞2007年1月19日付朝刊「さよならのプリズム 終末医療は今」第1部「最前線」(8))

※ この記事へのご意見、ご感想をお寄せください。あて先は iryou@kumanichi.co.jp
 
  無断転載は禁じます。
掲載の記事、写真等の著作権は熊本日日新聞社または、各情報提供者にあります。
Copyright Kumamoto Nichinichi Shimbun
  (c) 熊本日日新聞社 〒860-8506 熊本市世安町172