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水俣病百科

トップ 連載一覧 ニュース一覧


水俣病続く闘い 関西訴訟判決10年
2014年10月16日~10月18日
(上)司法の思い届かず 行政、変わらぬ認定基準
(下)補償格差 高齢の原告新たな裁判


水銀削減への道 「水俣条約」採択1年
2014年10月7日~10月12日
(1)カナダ先住民(上) 健康、食文化…奪われた
(2)カナダ先住民(下) 健康不安抱えたまま
(3)批准6カ国止まり 16年発効に黄信号
(4)国内対応 規制強化に業界反対
(5)県内の取り組み “熊本方式”示せるか


相思社40年 水俣病とともに
2014年9月24日~9月26日
(上)支援第2世代 新しいつながり探る
(中)患者支援 「闘争」から「伝える」へ
(下)資料群20万点 保存、活用が課題に


水俣病特措法 終わらぬ救済
2014年8月30日~8月31日
(上)「あたう限り看板だけ」 「なぜ非該当」募る不信
(下)「解決どう取り組む」 被害者側目線厳しく


判決の波紋 互助会訴訟
2014年4月1日~4月2日
(上)全員救済かなわず 「悲しい」原告失望
(下)「同じ症状大勢いる」 憤る会員


水俣病は終わっていない 互助会訴訟判決を前に
2014年3月23日~3月24日
(上)「世代ぐるみ健康被害」 仕事や子育てに苦労
(下)賠償額や除斥期間争点 原告「損害に差はない」/被告「症状、程度で違う」


政治動かす科学 英国「水銀国際会議」報告
2013年8月14日~8月20日
(1)【迫る水俣条約採択】 規制充実への出発点に
(2)【長期微量汚染】 結果相反する二つの研究
(3)【水俣の民間医師】 健康被害の報告続ける
(4)【国水研の報告】 「鯨多食影響みられず」
(5)【中国の報告急増】 コメへの汚染拡大警戒


特集 水俣病は終わっていない
2013年6月12日
「第1号患者」田中実子さん 還暦…言葉なく症状重く
最高裁判決 認定制度見直し迫る
「制度変えない意図明白だ」 富樫貞夫・熊本大名誉教授(環境法)
Q&A 補償・救済制度
Q&A 認定制度と基準
水俣病事件史


水俣病は終わっていない 第14部 問われる地方自治
2013年6月5日~6月11日
(1)批判と追従 2県割れる 熊本「国に判断委ねる」 新潟「救済制度見直せ」
(2)独自策打ち出す新潟県 被害者の声施策に反映
(3)法定受託事務 「判断は国」に被害者反発
(4)幻の健康調査 「国の壁」で実現できず
(5)水俣湾埋め立て地 「暫定措置」に消えぬ不安
医師・原田正純さん一周忌 石牟礼道子さんに聞く


水俣病は終わっていない 第13部 激震 最高裁判決
2013年4月17日~4月19日
(上) 「国の壁打ち破った」 申請から40年、溝口さん笑顔
(中)国、77年判断条件に固執 認定制度見直し不透明
(下)地域の混乱懸念する声も 期待、評価、戸惑いが交錯


水俣病は終わっていない 第12部 1次訴訟判決40年
2013年3月20日~3月24日
(1)笑顔なき全面勝訴 「勝っても万歳できなかった」
(2)心の傷、今も消えない 「娘を返せ!」と叫んだ母親
(3)病を背負い生きる 将来への不安消えぬまま
(4)支援続ける労働者 患者に寄り添い、共生する
(5)伝える教訓 経済優先の豊かさ見直しを


水俣病は終わっていない 第11部 再び最高裁へ 水俣病訴訟
2013年3月6日~3月8日
(上)認定基準 「二重」判断の決着に注目
(中)司法の判断枠組み 総合検討か裁量容認か
(下)原告の思い 行政の「壁」を破りたい


水俣から福島へ 第4部 明日への提言
2012年7月27日~8月2日
(1)被災者が声上げる努力を 緒方正実さん(水俣病患者・資料館語り部)
(2)賠償制度に被害者の声を 谷洋一さん(水俣病被害者互助会事務局)
(3)原発やめる法体系整備を 板井優さん(弁護士・九州原発差し止め訴訟代理人)
(4)賠償負担は「応責原理」で 除本理史さん(大阪市立大大学院准教授)
(5)中央と地方、ゆがんだ関係 開沼博さん(福島大特任研究員)
(6)「真の文明」への転換必要 小松裕さん(熊本大教授)


水俣病は終わっていない 第10部 迫る申請期限 特措法救済
2012年7月1日~7月6日
(1)「あたう限りの救済」実現は? 対象外地域 山間部からも訴え
(2)対象外地域の掘り起こし 「魚の多食」証明が壁に
(3)年齢での線引き 若い世代“切り捨て”も
(4)差別恐れ、ためらう被害者 “地域の目”に不安の声も
(5)「想定外」5万人以上名乗り 揺らぐ「3年」の根拠
(6)「できる限り」と「すべて」 国と被害者、軸足に違い


水俣病は終わっていない 第9部 溝口訴訟控訴審判決 揺れる認定制度
2012年2月28日~2月29日
(上)「大きな壁破った」 溝口さん、逆転勝訴に歓喜
(下)被害者救済、混迷へ 「基準見直し」高まり必至


水俣病は終わっていない 第8部 放置された被害 溝口訴訟が問うもの
2012年2月23日~2月25日
(上)21年後の申請棄却 遅すぎた県の病院調査
(中)21年後の申請棄却 遅すぎた県の病院調査
(下)公的検診の壁 民間資料、特措法も軽視


水俣病は終わっていない 第7部 水俣病認定患者救済 閉ざされ門戸
2012年2月4日~2月5日
(上)国の最終判断 対象確定「3年内」譲らず
(下)埋もれた被害 掘り起こす責任行政にも


水俣病は終わっていない 第6部 闘いは続く 訴訟が問う課題
2011年3月29日~31日
(上)変わらぬ認定基準 対立する「医学的正当性」
(中)被害の広がり 胎児性世代の実態、未解明
(下)チッソの補償拒否 「協定」めぐり異なる解釈

水俣病2010 - 未認定患者救済が実動 チッソ分社化と同時進行
2010年12月28日
 水俣病の認定基準に満たない未認定患者の救済が動き出した。水俣病特別措置法による救済は3万7千人余りが申請。水俣病不知火患者会が起こした集団訴訟も来春までに和解が成立する見通しとなった。その救済や補償を確実にする名目で特措法に規定された原因企業チッソの分社化は、事業再編計画の環境相認可まで進み、会社分割は目前となった。一方、認定基準の妥当性を争う裁判で、「基準に医学的正当性はない」との判決が大阪地裁で出され、認定制度の根本を揺るがした。前年に続いて大きく動いた、水俣病問題のこの1年を振り返る。

集団訴訟の和解 一気に基本合意へ
特措法による救済 対象者1人に210万円
チッソ分社化 再編計画認可、1月にも子会社
認定基準の否定 「医学的正当性なし」
その他の裁判 チッソ補償拒否で司法判断
水俣地域の再生振興策 環境テーマに研究会発足
国連水銀規制 「水俣条約」の命名提案


チッソ分社化認可
2010年12月16日~12月18日
(上)被害者、受け止めに温度差 歓迎、怒り…注文も
(中)株式売却 法で制約も現実味増す
(下)親会社清算 見通せぬ加害者責任の行方


水俣病は終わっていない 第5部 隠された患者 50年後の証言
2010年12月15日~12月17日
(上)「申請出さない」約束 集落の生計守るため…
(中)加齢とともに症状重く 検診ためらう住民も
(下)「対象地域」の線引き 公的調査なく根拠に疑問


水俣病は終わっていない 第4部 チッソ再編 こうする、こう見る
2010年11月28日~12月4日
(1)水俣病互助会事務局谷洋一さん(62)
(2)蒲島郁夫知事(63)
(3)宮本勝彬水俣市長(66)
(4)小林光環境事務次官(61)
(5)本願の会副代表緒方正人さん(57)
(6)除本理史東京経済大教授(39)


水俣病は終わっていない 第3部 揺れる基準 認定義務付け訴訟判決
2010年7月17日~7月19日
(上)国の患者認定基準 覆す判決 「いつまでメンツこだわる」
(中)国、県救済策進める姿勢崩さず 見直し論に早くも予防線
(下)症状の実態に合わぬ補償・救済 中間層「すそ野」に押し込め


水俣病は終わっていない 第2部 水銀条約への道 ストックホルム交渉
2010年6月21日~6月25日
(1)水俣、教訓に 発生源根絶への動き始まる
(2)消極的な日本の対応 流れ変えたオバマ米大統領
(3)中国、インドなど途上国 規制強化への牽制相次ぐ
(4)輸出続ける日本 対応遅れ、削減に無関心
(5)NGOの2人に聞く 名前だけ「水俣」ではだめ

国連環境計画「水銀規制条約」づくりへ
2010年5月29日
 国連環境計画(UNEP[ユネップ])のもとで、2013年に「法的拘束力のある水銀規制条約」をつくることになった。そのための第1回政府間交渉委員会(INC1[インクワン])が、6月7日からスウェーデンの首都ストックホルムで開幕する。水俣病の発生から半世紀以上がたち、世界百数十カ国の代表と各国NGO(非政府組織)が一堂に会し、水銀規制条約づくりをスタートさせる。論点をまとめた。(井芹道一)

水俣病繰り返さない 排出削減、管理など議論
なぜ今なのか? 広がる汚染地球規模
汚染の仕組みは? 食物連鎖 濃度高まる
アヒム・シュタイナー国連環境計画事務局長 ミナマタへの責務
政府間交渉委への付託 水銀使用の終息策を
UNEP 世界水銀アセスメント
【水銀とは】


水俣病は終わっていない 第1部 乙女塚から
2010年5月2日~5月7日
(1)特措法成立 「裏切られた思いだ」
(2)親子2代の闘い 正当な補償 求め続ける
(3)胎児性患者世代 気づかぬ被害 裁判で訴え
(4)胎児性の娘介護 「あと何年できるか…」
(5)母が倒れたら… 弱る体 募る将来への不安


引き潮 水俣病不知火患者会訴訟和解へ
2010年3月29日~3月31日
(上)救済へ選択肢なく 特措法で現実路線にかじ
(中)最大の“難所”乗り越えた国 政権浮揚へ思惑も
(下)訴訟7件未決着 「全面解決」遠い現実

動き出す 「最終」解決
2010年1月13日~1月15日
(上)歯車は回った。だが、道筋は見えない 和解へ被害者の思い交錯
(中)特措法での救済と「車の両輪」 和解へ“秋波”送る新政権
(下)一蓮托生の国、県、チッソ 問題発言にもにじむ配慮

水俣病2009
2009年12月31日
水俣病問題のこの一年を振り返ります。・・・ [詳細]

水俣病関西訴訟 最高裁判決から5年
2009年10月14日
水俣病の発生・拡大をめぐる国と熊本県の賠償責任を確定させ、被害を広くとらえた関西訴訟の最高裁判決から、15日で丸5年・・・[詳細]

政権交代 水俣病救済の行方
2009年10月3日~10月5日
(上)永田町 水面下の攻防見守るチッソ
(中)行政 「流れは維持」と環境省
(下)被害者団体 交錯する特措法への思惑

政治決着の行方 緊急連載 水俣病救済法案
2009年7月3日~7月5日
(上)安堵と不信、憤り…
(中)「最終解決」に強い思惑
(下)救済方針の具体化 課題に

風上の国から 中国水銀国際会議
2009年7月1日~7月9日
(1)「水俣病発生」懸念される貴州省
(2)大気汚染物質の“玄関口”
(3)水銀含む廃水、無処理で投棄
(4)自国の公害対策を提言
(5)水俣の今 発信する被害者側
(6)世界唯一の水銀専門研究機関
(7)開催国への期待と配慮

水俣病特措法と政策の「ゆがみ」 <寄稿>室蘭工業大大学院教授・永松俊雄
2009年6月26日~6月27日
(上)地域指定解除 国の直接関与幕引き?
(下)チッソ分社化 公平さ欠く責任の消滅

水俣病公式確認から53年
2009年5月1日
水俣病公式確認から53年目の節目に、公害病の地域指定とは何かを探ります。・・・[詳細]

分社化の思惑 チッソ 責任の行方は・・・
2009年2月8日~2月19日
(1)急展開 軟化、反発、疑問…揺れる関係者
(2)悲願 負債一掃の構想に暗雲
(3)2つの課題 読めない債務と株式売却益
(4)国会情勢 「ねじれ」で法案成立厳しく
(5)県と県議会 「債務引き受け」に一斉反発
(6)企業城下町 市民脅かす“撤退”の影
(7)補償協定 枠組みの将来案じる声も
(8)PPP 国も被害拡大の「原因者」
(9)裁判 「対チッソ」は雲散霧消も
(10)「最終解決」 指定解除、訴訟…実現遠く

水俣病2008
2008年12月30日
水俣病問題のこの一年を振り返ります。・・・[詳細]

判決を前に 水俣病溝口訴訟
2008年1月21日~1月22日
(上)一人の闘い 今や“先陣”
(下)制度の誤り真正面から問う

水俣病2007
2007年12月29日
 国と熊本県の責任を断罪した二〇〇四(平成十六)年十月の関西訴訟最高裁判決後、新たな認定申請者が急増した水俣病問題。熊本県の認定審査会は再開したが、認定基準を見直さない姿勢に反発が続き、新たな訴訟も相次いだ。・・・[詳細]

混迷…水俣病 最高裁判決から3年
2007年10月13日~10月16日
(上)相次ぐ訴訟 「行政が変わらんからや」
(中) 県外被害者 「救済されず、埋もれる」
(下)新救済策 司法水準と大きな開き

どうなる 水俣病救済
2007年7月4日~7月5日
(上)被害者団体 評価、批判…反応さまざま
(下)与党PT 県の出方に神経とがらす

水俣病救済への座標軸 ―被害者団体に聞く
2007年6月14日~6月17日
(1)水俣病不知火患者会 大石利生会長(67)
(2)水俣病出水の会 尾上利夫会長(69)
(3)水俣病芦北の会 村上喜治会長(57)
(4)水俣病被害者互助会 佐藤英樹会長(52)

水俣病50年 第13部 未来への約束
2007年5月25日~6月2日
(1)患者家族 悲しみ共有…笑顔あれば
(2)修学旅行誘致 記憶伝えるための“商品化”
(3)学校版環境ISO 県外にも広がる認証制度
(4)エコタウン 再利用で「負の遺産」生かす
(5)環境作物 公害教訓に食の安全探る
(6)「海藻の森」計画 取り戻せ!豊じょうの海
(7)環境モデル都市 広がる新たな地域づくり

水俣病50年 第12部 国策会社チッソ
2007年5月1日~5月12日
(1)「時効論」で原告突き放す
(2)「国に差し出す」 患者補償へ血税投入請う
(3)汚染者負担の原則 応急措置の県債、恒常化
(4)変容した大義名分 患者補償が公的債務返済へ
(5)分社化構想が浮上 将来にらみあえて提案
(6)分社化論議再び 与党検討課題と位置付け
(7)脱・水俣病 「自由な企業」への模索進む
(8)経済合理性再び 半世紀前と重なる姿勢

水俣病50年 第11部 不知火海を歩く 水俣編
2007年4月2日~4月8日
(1)患者が患者を介護 親亡き後への不安高まる
(2)働けないつらさ 世間を知らず歩みたくない
(3)日常生活支援 法の裏付けなし継続に不安
(4)身体機能の低下 「普通に暮らす」どう実現
(5)ピラミッド成す病像 「過去」ではない胎内汚染
(6)独自の水銀分析法 「微量汚染」追う研究者たち

水俣病小史
2007年2月14日~7月12日
(1)曽木電気設立 電力の活用、チッソ創業へ
(2)チッソの立地 1908年 “企業城下町”を形成
(3)猫てんかん 1954年 「兆候」初めて報道
(4)公式確認 1956年5月1日 患者家族の長い苦しみ
(5)ネコ実験開始 1957年 原因解明に成果生きず
(6)食品衛生法 1957年9月 不条理な「適用できず」
(7)排水口変更 1958年9月 不知火海沿岸に被害拡大
(8)ネコ400号 1959年 排水与え発症確認
(9)有機水銀説 1959年 英医師らの論文契機に
(10)食中毒部会の解散 1959年11月13日 原因究明振り出しに
(11)サイクレーター設置 1959年12月19日 “安全な排水”を演出
(12)見舞金契約 1959年12月30日 封じられた患者の叫び
(13)総合調査研究連絡協議会 1960年2月 水掛け論続き立ち消え
(14)毛髪水銀調査 1960年 結果生かされず打ち切り
(15)胎児性患者を初確認 1961年 医学の“常識”破る経験
(16)塩化メチル水銀抽出 1962年 工場内での有機化証明
(17)新潟1次訴訟提訴 1967年6月 4大公害裁判で先陣
(18)動きだした支援の手 市民会議結成 1968年1月12日
(19)きっかけは生徒の発言 公害教育 1968年11月20日
(20)「原因はチッソ」と名指し 公害認定 1968年9月
(21)支援の輪 各地に拡大 水俣病を告発する会 1969年4月
(22)「国家権力」と闘う覚悟  1次訴訟提訴 1969年6月14日
(23)一株株主運動 1970年11月28日 全国で株主約5500人に
(24)環境庁発足 1971年7月1日 期待一変戦う相手に
(25)71年環境庁裁決 1971年8月7日 認定のハードル、一時低く
(26)「疑わしきは認定」 1971年8月 誤解嘆いた環境庁長官
(27)自主交渉 1971年12月 原因企業に「同じ痛み」を
(28)国連人間環境会議 1972年6月 身をさらし世界へ発信
(29)水俣病二次訴訟提起 1973年1月20日 判断条件正面から批判
(30)一次訴訟判決 1973年3月20日 原因企業の責任を断罪
(31)第三水俣病(1) 1975年5月 患者いないはずの町に
(32)第三水俣病(2) 1973年5月~ 各地に広がったパニック
(33)第三水俣病(3) 1973年5月~ 否定された患者の存在
(34)第三水俣病(4) 1973年5月~ 水面下に沈んだ成果
(35)第三水俣病(5) 1973年5月~ 問われた報道の姿勢
(36)補償協定締結 1973年7月9日 償い求める患者の苦闘
(37)公健法の公布 1973年10月 補償と救済に「ねじれ」
(38)仕切り網設置 1974年1月 汚染された海の象徴
(39)偽患者発言 1975年8月7日 国、県が「口裏合わせ」
(40)チッソ元社長ら起訴 1976年5月 「遅すぎ」で時効争点に
(41)不作為訴訟で患者勝訴 1976年12月 未処分者なお大量滞留
(42)公訴棄却 1977年6月14日 国の差別えぐり出す判決
(43)「52年判断条件」 1977年7月 患者認定で戻った振り子
(44)チッソ県債発行 1978年6月16日 2000年まで計2260億円
(45)国立研究センター設立 1978年10月 水銀の教訓 世界に発信
(46)三次訴訟提訴 1980年5月21日 初めて国、県の責任問う
(47)関西訴訟 1982年10月28日 県外移住者が初の提訴
(48)医学専門家会議 1985年10月 自分で作った基準を追認
(49)棄却取消訴訟 1986年3月27日 「判断条件」に再び異議
(50)水俣湾のヘドロ処理作業終了 1989年3月 チッソ負担分は今も返済
(51)IPCS(上) 1989年4月 影響受けやすい胎児
(52)IPCS(下) 1989年4月 世界に「逆行」試みた行政
(53)和解勧告(上) 1990年9月28日 広く早期に被害者救済
(54)和解勧告(下) 1990年9月28日 「司法救済」実現できず
(55)中公審答申 1991年11月26日 百とゼロの間の総合対策
(56)水俣市長が謝罪 1994年5月1日 「もやい直し」の始まり
(57)政治決着(上) 1995年6月22日 「霞が関」の抵抗押し切る
(58)政治決着(下) 1995年9月28日 苦渋の決断 被害者に迫る
(59)待たせ賃訴訟 1996年9月27日 司法でも待たされ敗訴
(60)水俣・東京展 1996年9月28日 事件の今日的意義探る
(61)日本精神神経学会の見解 1998年9月 専門家の役割問う
(62)逆転認定 1999年4月5日 裁決案を意図的に放置
(63)社会科学的研究会報告書 1999年12月 国が自らの行為を検証
(64)チッソ抜本支援策 2000年2月8日 官僚動かした“一喝”
(65)疫学調査書に「ブラブラ」2000年7月19日 30年続いた差別体質
(66)関西訴訟控訴審判決2001年4月27日 病像に新視点、国は敗訴
(67)水銀国際会議 2001年10月 注目集めた微量汚染
(68)水俣学開講 2002年9月20日 社会のありよう映し出す
(69)能「不知火」奉納 2004年8月28日 市民ら巻き込み実現
(70)最高裁判決 2004年10月15日 国、県の責任が確定
(71)環境省が新対策 2005年4月7日 被害の広がり浮き彫りに
(72)公式確認50年 2006年5月1日 解決の節目にはならず
(73)水俣病問題に係る懇談会 2006年9月1日 官僚機構相手に神経戦
(74)認定審査会再開 2007年3月10日 基準は見直されぬまま…

水俣病50年 シンポジウム 「みなまた曼荼羅話会」詳報
2007年2月10日
水俣が人類に発しているもの  負の遺産から富の遺産へ・・・[詳細]

水俣病50年 第10部 官の論理
2007年1月1日~1月11日
(1)政治決着 交渉糸口探り元次官奔走
(2)公害認定 対産業界へ“研究本”出版
(3)環境庁裁決(上) 否定し得ない場合は認定
(4)環境庁裁決(下) 「現実にある被害に着目」
(5)チッソ支援 国、県に「十字架」重く
(6)和解勧告 「行政の根幹」国は拒否
(7)「公害」から「環境」へ 地域再生の方策を模索
(8)最高裁判決(上) 「相互協和」の水質保全法
(9)最高裁判決(下) 裁かれた官僚機構の思想
(10)教訓 地域に生きる人々向いて

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関連リンク集
水俣病年表
水俣病事典
水俣病・環境問題に関するホームページリンク集

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