ハンセン病とともに

  ハンセン病とともに 第1部 インドから
2006年1月23日~28日
(1)回復者の村 故郷を追われた患者ら…
(2)自立へ(上) 物ごいから「働いて稼ぐ」へ
(3)自立へ(下) 支援組織と連携し経済的成功
(4)マスコミ エイズのほうが大きくて・・・
(5)苦難を超え 「人生をあきらめない」
(6)デリー宣言 回復者たちの思いが凝縮
  ハンセン病とともに 第2部 生きなおし
2006年3月21日~4月13日
(1)本名<1> 社会で治療できない仕組み
(2)本名<2> 「稲葉」あてで届く年賀状
(3)本名<3> 迷わず同窓会に出席
(4)本名<4> 「せめて10年若ければ」
(5)社会復帰<1> 現実に絶望…涙した日も
(6)社会復帰<2> 働くために面接で“うそ”
(7)社会復帰<3> 待ち望んだ社会での生活
(8)社会復帰<4> 退所して味わう開放感
(9)心の交流<1> 子供持つこと許されず
(10)心の交流<2> 後ろ向きでいられない
(11)心の交流<3> 小公女・セーラのように
(12)心の交流<4> 生徒たちが差し伸べた手
(13)心の交流<4> 招かれた中学の卒業式
(14)魂の歌<1> 挫折重ねた過去の自分
(15)魂の歌<2> 「厚い壁壊せる気した」
(16)魂の歌<3> 普通の人間として「前へ」
(17)魂の歌<4> 葛藤の中でつむぎだす音
(18)当事者<1> 「両親が収容」人に言えず
(19)当事者<2> 「すべて隔離政策のせい」
(20)当事者<3> 家族・遺族で苦しみ共有
(21)当事者<4> 勇気出して声上げた
  ハンセン病とともに らい予防法廃止から10年
2006年3月28日
菊池恵楓園入所者の証言でたどる
  人間回復へ苦難の歩み
 
  ハンセン病とともに 第3部 隣人として
2006年5月10日~5月24日
(1)若者たち<1> 入所者の言葉かみしめ
(2)若者たち<2> 差別や偏見なくすため
(3)若者たち<3> 周囲に伝えた交流体験
(4)若者たち<4> “距離感”を縮めるため
(5)人権指導員<上> 水俣病でも経験 自責の思い
(6)人権指導員<中> 日本全体が助長した差別
(7)人権指導員<下> 根は同じ差別ほかにも
(8)学芸員<上> 「太郎君」きっかけに
(9)学芸員<中> 「光を放つ」絵画作品
(10)学芸員<下> 絵画展で突き付けられた現実
(11)研究者<1> 映画「あつい壁」に心震わせ
(12)研究者<2> 米で学んだ社会学を実践
(13)研究者<3> 経験者しか感じ得ぬ思い
(14)研究者<4> 手元に残された1冊の本
  ハンセン病とともに 第4部 老境
2006年9月3日~9月21日
(1)自治会 高齢化進み役員不足
(2)啓発活動 増えた講演の依頼
(3)機関誌 自由にもの言える場く
(4)サークル活動 精神のよりどころ
(5)盆踊り 入所者が思い込めた歌詞
(6)食 事 入所者の一大関心事
(7)待労院 入所者9人の私設療養所
(8)将来構想<上> 広い敷地に入所者点在
(9)将来構想<中> 医療、福祉の水準維持…
(10)将来構想<下> 園と地元自治体協議へ
  ハンセン病とともに 第5部 つなぐ
2006年12月6日~12月22日
(1)回復者村<1> 家族のきずな崩壊に衝撃
(2)回復者村<2> 確かな足跡残していく
(3)回復者村<3> 現地の学生も巻き込み
(4)回復者村<4> 目の輝き失った村人たち
(5)回復者村<5> 「自分の体験を生かせる」
(6)回復者村<6> 伝えたい生命の大切さ
(7)流行国<上> 「予防方法開発したい」
(8)流行国<中> 「自分が幸せになるため」
(9)流行国<下> インドネシアでの研究
(10)共闘<上> 隔離政策追及の弁護士
(11)共闘<中> 「国境超え全面解決を」
(12)共闘<下> 海外とのきずな深めて